PCR検査は病人の診療において、診断を補助するためのツールとして使われてきた☆20200823

情報☆

新型コロナウイルスに感染している無症状者を見つけ出し隔離をするというのは本来の使われ方ではない。

新型コロナに感染した人の濃厚接触者を調査したところ、1人の無症状の小学生が陽性と判断され、その結果、学校が数日間も休校になり、学校に業者が入って消毒作業が行われた。 

ところが、その子の検査結果をよく見ると、検出されたウイルス遺伝子の量は陽性判定ぎりぎりだった。最終RNA産物1マイクロリットルあたりに換算して1コピーにも満たないというものだ。ウイルスを扱っている者なら、

生きているウイルスの遺伝子数は100から1000コピーに1個であり、数コピーでは生きているウイルスは存在しない確率のほうがずっと高いことを知っている。

もしも仮に存在したとしてきわめてわずかだ。

検査結果が正しければその子が検査以前の数日間に周囲に感染を広げていたリスクやその後2~3日で感染を広げるリスクは、ほぼないと考えるべきだ。

すべきことは、その値に再現性があるか、またその子の鼻でウイルスが増えているかどうかを、翌日再検査で確認することであって、休校にすることではなかった。

なのに、その子も家族も周囲から白い目で見られ、他の子どもたちも勉強の機会を奪われた。

確かに中国の各都市では今、無症状者を含め何万人単位で検査しているが、これは10人分の検体を1つにまとめて1回のPCR検査をやっていると聞く。陰性なら10人が陰性となる。

そうなると1人あたりの検査に使われる検体量は10分の1になり、感度を10倍落としての検査によって陰性と判断しているということになる。

それでもいいというのならば、それも1つの検査哲学だ。

そもそも感染の観点を離れて、それが強制収容なのか、本人の希望なのかということは大事だ。

問題ない人が意に反して収容されるようなことがあってはならない。

「隔離」の強制は人権侵害です。無症状の人の隔離に妥当性はあるのでしょうか。

個々の人の陽性の「質」を見る必要がある。

詳しく調べて、必要であれば再検査も行い、周囲に感染を広げるリスクがないと判断したら、念のための自宅待機だけでよいことにしたらいい。

検討の結果、ウイルス量が多い人に対しては、症状が急変するかもしれず、その場合にすぐに対応できるよう宿泊施設にとどまっていたほうがよいと説明し、納得してもらえばいいのではないか。

今の「恐れすぎ」は公衆衛生として必要な範囲を超えている。「恐れすぎ」が蔓延して、ゼロリスクを求める動きにつながっている。

「検査して隔離」は「恐れすぎ」による思慮を欠いた発想だ。完全にゼロリスクにすることなどできない。

⭐️⭐️⭐️

7月末にピークは終わっていると聞く。
段々倒産する企業も出て来てますね😥

立ち上がろう⭐️目覚めよう⭐️

「PCR検査・隔離」の膨張が引き起こす現実の問題
――無症状者への検査拡大で最近は実際に問題が生じているそうですね。参考になる例を1つ紹介する。新型コロナに感染した人の濃厚接触者を調査したところ、1人の無症状の小学生が陽性と判断され、その結果、学校が…

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